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幸せになる資格なんてない、という感情

2016/09/02

15年以上も前の話になりますが、実は過去に浮気をしたことがあります。付き合いが長くなっていくにつれて、その相手に対する気持ちが自然に冷めてきてしまい、浮気に走ってしまいました。そしてメールを見られて浮気がバレて、問い詰められ、責められました。そしてその恋は終わってしまいました。自分が悪いことをしたのだから、当然です。どれだけ相手を苦しめたでしょう。反省してもしきれません。

ところが当時まだまだ未熟だった私は相手に対して何をしたかというと、その言い争いの中で「逆ギレ」をしてしまったのです。自分の行動を反省するよりもメールを見られたことに怒ってしまって言い訳ばかりしていたのです。メールを勝手に見るのも確かに悪いことですが、だからといって浮気はしていいものではありません。相手にメールを見られるような疑いの言動がそれまでの私にあったのでしょう。バレた瞬間は誠心誠意謝りましたが、許してもらえるわけもありませんでした。そのうちだんだん口論に発展して感情的に「逆ギレ」の状態になってしまい、「○○(相手の名前)のこういうところが嫌だったから浮気したんだ、もういい、じゃあもう別れよう」といって自分から当時一緒に住んでいた家を出て行ってしまったのです。

今思うとなんて自分勝手でバカなことをしたんだろうと思います。どれだけ相手を傷つけてしまったのかと思います。その後感情的になって逆ギレしまったことを反省し、誤り、何度も話し合いましたが復縁は叶わず、結局やり直しはできませんでした。

ただ、ここまでは男女間の問題としては良くないことではありますが、実際は特に珍しいパターンというわけでもないと思います。今日はその後、浮気した側(※自分)の「気持ち」がどうなったかについてお話ししたいと思います。

私はその当時「自分は最低だ。自分が裏切って傷つけた立場のくせに反省も不十分で、逆ギレして相手をさらに傷つけて不幸にしてしまった。こんな自分は幸せになる資格なんてない」という強い罪悪感を持ちました。当たり前ですが相手にどんなに謝罪しても受け入れてもらえませんでした。

それから、罪の気持ちを持ったまま約15年が経ちました。この15年の間に、何人かお付き合いした人もいましたがどの恋もうまくいかずに終わってしまいました。恋がうまくいかなくなるたびに当時自分が裏切る形で別れることになった相手のことを思い出しました。その相手のことがまだ好きだった訳ではないのですが、自分に対して一生懸命になってくれた人を裏切ったという罪悪感として忘れることができず、何度も何度も思い出していました。15年も前のことなのに、罪悪感が残ったまま消化しきれないでいたんです。

最近また失恋しまして、何が原因でダメになってしまったのかなと考えていました。どうして私の恋はずっとうまくいかないんだろう、と。そしてやはりその当時の失敗を思い出しました。そして、ある時ふと、15年間ずっと自分で自分を罰してきていたことに気づきました。自分は幸せになる資格なんかない、という思いですね。自分の中にその思いがずっとあることは自覚していましたが、その思いが自分から幸せになることを遠ざけていたことには全く気づいていませんでした。「幸せになりたい」のに「幸せになってはいけない」と自分で自分を禁じている状態にしていたんですね。そして恋がダメになると、やっぱり天から罰を受けているような感覚になっていました。15年間もです。

よくよく振り返ってみると、自分が幸せになれそうな時でも自分から関係を壊すように仕向けるような言動をとっていたような気がします。また、始めから幸せになれそうにない相手をわざわざ自分で選んで好きになってしまっていたようにも思います。付き合った人たちはそれぞれ皆いい人たちでしたがどこか人格的・性格的に歪んでいる部分があり、付き合い続けたとしてもうまくいくはずのない相手ばかりだったような気がします。例えば、自分は結婚がしたいのに、結婚にまるで興味がないというような相手を選んでしまっていたり、自分と同じように強い罪悪感がある人を引き寄せるように選んでしまっていたり、当然うまくいきません。それを、全部「自分は幸せになる資格がないからだ」という罪悪感で都合よく片付け、うまくいかなくなると「罰を受けている」と勝手に解釈し、不幸になることで「過去の償いをしている」ような感覚になっていました。「ああ、やっぱり今回もダメだった。まだ償いが足りていないんだ」と、なんの根拠もないのに幸せになれないルーティーンが自分の中で当たり前の出来事になっていたように思います。「誰か」が自分に対して「ざまあみろ」って言っているような感覚をずっと持っていました。でもその「誰か」は紛れもなく「自分」でした。

話しが少し変わりますが、最近リオオリンピックで日本選手たちが大活躍しましたね。オリンピック選手たちがよく言う「オリンピックには魔物がいる」というジンクスですが、試合ではメダル確実と言われていた選手が本番で思うように実力を発揮できなかったり、思わぬ番狂わせが起きたりします。そういうことを「オリンピックには魔物がいる」と表現していますね。達観した選手は「魔物は自分自身が作り出しているもの」ということをよく自覚していて、それをうまく自分でコントロールできている選手が勝利のメダルを手にしているような気がしました。

これと似たようなことが「幸せになる資格はない」という感情にも言えると思うんです。「幸せになる資格はない」と感じている人は本当は「幸せになりたい」のに幸せになることをどこかで恐れています。つまり失敗を恐れています。失敗を恐れるから失敗しないようにコントロールすればいいのに、この魔物である強い罪悪感が邪魔をして、失敗する方向へ自分を向けてしまいます。これが魔物の正体ではないかと思います。

私は、昔に悪いことをしたから自分は幸せになる資格はない、幸せになろうとしたら必ず何かに邪魔されて幸せになれない、罰を受けているからだ、とまるで何か目に見えない力で自分の運命を操作されているかのように不幸を嘆いてきました。でも、そうではなかったことに気づいたんです。「自分は幸せになる資格がない」という思いは自分自身が作り出しているものであって、別に誰かにそう言われたり誰かに自分の人生を決められたりしているわけではないんですね。

反省することは大事ですが、こんな思いが15年も続くことが果たして本当に良いことなのかどうか考えてみました。その傷ついたままの卑屈で拗ねた自分がまた誰かを傷つけています。少なくともこの15年の間に自分を純粋に応援してくれている家族や友人の期待に応えられず(他人の期待のために生きているわけではないですが)、さらに付き合った人たちのことは振ったにせよ振られたにせよ、少なからず傷つけているわけですから、罪悪感を感じ続けていることで、ある意味別の被害を広げているとも言えます。

「自分は幸せになってはいけない」という感覚は自分自信が勝手に作り出しているものです。それに気づいた時に、私は初めて過去15年の呪縛から解放されたような気持ちになりました。私の中の魔物の正体は、紛れもなく自分自信が作り上げた「思い」でした。私はそれから初めて過去の自分を許そう、という思いに至りました。自分を甘やかそうという意味ではなく、これ以上自分がうじうじとしていることで人に迷惑をかけてはいけない、そのためには自分を許さないといけない、と思ったんです。他人を許すことを自分を許すことでは、自分を許すことの方が実は難しいものなんだと、初めて知った体験でした。本当の意味で自分を許せていなかったことに15年間気づいてすらいなかったのですから、罪悪感というのは本当に強い想いなんだと思います。

「幸せになる資格はない」なんてことはありません。人は幸せになるために存在するのだと思います。反省は大事ですが人を傷つけたことのない人もまた存在しません。程度の違いはあれど誰もが人を傷つけ、誰かから傷つけられた経験を持って生きています。だから他人であっても自分の事であっても、許せないと思うことでも、許していこうとする心がけは大事な事ですよね。いつまでも過去の呪縛に囚われ続ける必要はありません。しっかり反省したら、あとは自分で自分を許していくことです。自分で自分を許せないというのは自分に厳しく聞こえは良いようにも思いますが、自分を許せていない人が周りに幸せな影響を与えられるでしょうか。まずは自分自信で自分の心を治療することが大事ではないでしょうか。自分だけでは難しい場合は周りの人たちや、専門家の力を借りるのがいいと思います。自分自信が幸せでいることが、周りの方達への幸せなパワーとなっていい影響をもたらすのだと思います。そのことに、本当に気づくことです。

何かの参考になれば幸いです。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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